2013年10月15日火曜日

「韓国人の行き過ぎた国粋主義は問題」:「誇張せずに体系的に自国の紹介を」

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朝鮮日報 記事入力 : 2013/10/13 05:46
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/13/2013101300058.html

「韓国人の行き過ぎた国粋主義は問題」
ドイツ人韓国学者ウェルナー・サッセ元教授
「誇張せずに体系的に自国の紹介を」
「韓国広めたいならやめるべき言葉は…」
現代舞踊家ホン・シンジャ氏と再婚で話題
韓国の詩歌たしなむマッコリ好き
著作『素顔がきれいなコリアン』で韓国大衆文化を取り上げる

 秋雨がしとしと降った8日午後、ウェルナー・サッセ漢陽大学元碩座(せきざ)教授(72)は傘もなく、現れた。
 碩座教授とは寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授のことだ。
 ベージュのバーバリー・コートに合わせたかのような色のスーツにシャツまで肩の部分がびっしょりぬれていた。
 「傘を貸しましょうか」と記者が声を掛けると、元教授は流ちょうな韓国語で
 「大丈夫です。
 私は帽子があるから。
 きょうはインタビュー後にイベントがあるので、このようにドレスアップしてきたんです。
 普段は改良韓服(韓国の伝統衣服を現代風に着やすくアレンジしたもの)しか着ません。
 楽だし、きれいだから」
と答えた。

 ドイツ人韓国学者のサッセ元教授が『素顔がきれいなコリアン』という本を出版した。
 韓国とのゆかりは50年近くになるが、韓国大衆文化に関するエッセーは初めてだ。
 ご飯・キムチ・韓屋(韓国伝統家屋)・あずまやといった韓国の物質文化から、ソンビ(学識・礼節に優れた文人)・シャーマニズム・ハングルなどの精神文化まで、外国出身者の視点から見た韓国文化の素顔をまとめた。

 「外国人に15分間『ウリ(私たち、われわれ=韓国・韓国人を意味する韓国語)』とばかり言っていたら逃げられます。
 韓国の歴史を紹介するときに『ウリ』を強調し過ぎては駄目です。
 韓国料理・韓屋・ハングルなどどれも素晴らしいですが、『世界で唯一だ』と宣伝すれば国粋主義に傾倒しているように見えます。
 『韓国が一番』ではなく、韓国文化も東アジアや世界のほかの文化同様、その特性を持つ文化だということを認める必要があります」

 さらに、韓国を愛するが故に「韓国人の行き過ぎた国粋主義は問題です」と批判を口にした。
 「5000年の歴史と言えば魅力的な言葉に聞こえますが、科学的に証明しなければなりません。
 こうしたことを過度に自慢すれば、外国では笑いぐさになるかもしれませんよ。
 誇張せず、外国人に対し体系的に、事実に基づいて韓国の歴史を紹介した方がいいでしょう」

 1960年代後半、全羅南道羅州の肥料会社で働くドイツ人技術者だった最初の妻の父に付いて韓国に来たサッセ元教授。
 いったん帰国し、ルール大学ボーフムで「鶏林類事(宋の時代の百科書)に登場する高麗方言」という論文を執筆して韓国学博士号を取った。
 ハンブルク大学に在職中だった2002年には仏をたたえる賛歌「月印千江之曲」をドイツ語で初めて翻訳して注目された。

 定年退職後の06年から韓国に定住し、10年に現代舞踊家のホン・シンジャ氏(73)と再婚して話題になった。
 現在は京畿道安城で文章を書いて翻訳したり、韓紙(韓国の伝統製法による紙)に水墨画を描いたりして暮らしている。
 「農家月令歌」のドイツ語・英語訳を終え、今は「東国歳時記」を英訳している。
 韓国の詩歌「時調」を楽しみ、韓国の濁り酒「マッコリ」が好きで3本くらいはいけるとのことだ。

 サッセ元教授は
 「人々が日常を生きている実際の韓国文化と、言葉だけで広報している韓国文化の不一致」
に対しても困惑を見せた。
 例えば、近ごろの韓服「PR」が代表的なケースだ。
 「韓国政府は韓服の美しさを強調していますが、実際の韓国人は日常生活でほとんど韓服を着ていません。
 あまり着ない服をどう外国に自慢しようというのでしょうか」

 漢陽大学で教授を務めていた当時も、学生があまりにも韓国文化を知らないことに驚いた。
 「40歳より下の人々は漢字を知らないのでコミュニケーション上の誤解がよくあります。
 漢字は1500年以上も韓国文化の中にありましたから、外国語としてではなく、大きく韓国語のカテゴリーとして見るべきです。
 自国の文化を知るには、漢字と漢文教育をする必要がありますね」



 もう一つ、「韓国の父系社会の終焉」を。


朝鮮日報 記事入力 : 2013/10/20 08:42
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/20/2013102000032.html

「韓国で400年続いた父系中心社会、間もなく終わる」
儒教伝統の衰退で韓国女性の地位が400年ぶりに回復10/20 
韓国史の研究者、マルチナ・ドイヒラー名誉教授
「直系男子が本家を継ぐ慣行は17世紀に確立、高麗時代には女性も財産を相続」
「父系・母系が共存する両系に回帰」

 「韓国社会で受け継がれてきた儒教の伝統は、1990年代以降急激に崩壊した。
 この先、父系中心社会の存続は困難だろう」。
 それは「伝統の終末」ではないのかという質問に対し、マルチナ・ドイヒラー・ロンドン大学名誉教授(78)は、流ちょうな韓国語でこう答えた。
 「違う。大きな目で見れば、父系と母系どちらも重視していた高麗時代以前の『両系社会』に戻る」

 ドイヒラー名誉教授はスイス出身で、海外の代表的な韓国史研究者の一人に挙げられる。
 ドイヒラー名誉教授は最近、著書『韓国の儒教化プロセス』(ノモブックス)の出版に伴い韓国を訪れた。
 本書は、92年に米国で初版が発行されて「朝鮮王朝時代の社会史研究の新たな場を切り開いたと評価されている『韓国社会の儒教的変換』(原題:The Confucian Transformation of Korea)を改訂したもの。
 社会人類学的方法論を用い、約400種類の1次資料を駆使して20年以上にわたり研究を行ったこの力作は、韓国人が持つ一般的な韓国史の常識を至る所で揺さぶっている。

 「父系重視、長子優遇相続、祭祀(さいし)、宗孫(本家直系の男子)の家系継承といった慣行が確固としたものになったのは17世紀だった。
 それらの要素は20世紀まで存在し、韓国社会の特徴を形作った」

 それは、新儒学(性理学)を思想的基盤とした鄭道伝(チョン・ドジョン)・趙浚(チョ・ジュン)など朝鮮王朝の建国勢力が韓国社会全体を儒教的に変えようとする巨大なプログラムから始まった。
 そして250年という長い過渡期を経て、朝鮮王朝時代中期にようやく完成したというのが、ドイヒラー名誉教授の説明だ。

 なぜそんな変革を試みたのか。
 理由は、政治的安定のためだった。
 ドイヒラー名誉教授は朝鮮王朝の建国勢力を、韓国史の時間に学ぶような新階層(新興貴族)ではなく、既存の巨大な家門出身の「一族」だったとみている。
 「特権を世襲するエリート集団を小規模に抑えるため『父系』と『長子』を強調した。
 少数のエリートが、それ以外の社会集団(平民・奴婢)を支配し続けることができるシステムだった」

 この変化の過程で、女性の地位は大幅に格下げされた。
 「高麗時代の女性は、結婚後も実家の構成員であり続け、息子や娘と同様に相続を行うことができたため、経済的にも独立していた。
 ところが朝鮮王朝時代中期には『財産権を持たない、嫁ぎ先の一員』になってしまった」。
 代々エリートという名家の出身でない場合、妻として嫡子をもうけることもできなかった。
 となると、韓国の女性は実に400年もの「沈黙期間」を経て、21世紀初めになってようやく「高麗時代の地位」を取り戻しているというわけだ。

 1960年代からたびたび韓国に滞在し、社会を観察してきたドイヒラー名誉教授は
 「当時はまだかなり残っていた伝統儀礼が、韓国から徐々に姿を消しているようで残念」
と述べる一方
 「この変化が前向きなものなのか、後ろ向きなのかについては、まだ判断できない」
と語った。
 4-5世紀の新羅時代から19世紀にかけて、韓国社会の基本的単位が「氏族」だったと考えるドイヒラー名誉教授は来年、米国のハーバード大学から、その持続性を研究した著書を出版する予定だ。



朝鮮日報 記事入力 : 2013/10/20 08:40
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/20/2013102000031.html

【萬物相】両系社会

 高麗の文人、李奎報(イ・ギュボ)は、義父が世を去ると祭文をしたため
 「婿になり、一杯の飯と一口の水、全て義父の世話になった」
とその死を悼んだ。
 高麗時代の婚姻習慣は「婿留婦家婚」だった。
 ほとんどの婿が、妻の実家で暮らした。
 子どもたちは、父方の家と母方の家を区別しなかった。
 母方のおば(姨母)も父方のおば(姑母)も、全く同様に「おばさん」と呼んだ。
 両親は、息子も娘も区別せず全く同等に財産を分け与えた。
 そして息子と娘は、順番に両親の祭祀(さいし)を行った(輪行)。

 鄭道伝(チョン・ドジョン)は、朝鮮を儒教国家にするため、高麗の風習を改革の対象にした。
 「男子が女子の家に入るのに、婦人が無知で、自分の両親の愛をたのみに夫を侮る例がある。
 おごりとねたみが日に日に強まり、ついには夫と反目するに至る」。
 それでも、男性が結婚して妻の家に入る「男帰女家婚」は16世紀まで盛んに行われていた。

 「忠武公」李舜臣(イ・スンシン)も、10年ほど妻の家で暮らした後、科挙(武科)に合格した。
 息子をもうけることなく世を去った両親の祭祀は、娘の子どもたちが行うのが当たり前だった。
 「栗谷」李珥(イ・イ)も、娘ばかりで息子のいなかった母方の祖父母の祭祀を行った。
 しかし17世紀になると、儒教の礼法にのっとった父系社会に変化し始めた。
 性理学を尊ぶ「士林」が政治権力を握り、日常生活も支配した。

 結婚制度も、朱子が教えた通り「新郎が新婦を自ら迎える親迎」に変わった。
 遺産も長子が独り占めした。
 歴史学界では「両班(ヤンバン。朝鮮王朝時代の貴族階級)層が、家門を継ぐ長男に財産を集め、平民を支配する特権層に発展した」と解釈している。
 娘は差別され、妻や妻方の実家の立場もかなり低くなった。
 しかしマルチナ・ドイヒラー・ロンドン大学名誉教授は
 「この先、父系中心社会の存続は困難」
という見通しを示した。
 ドイヒラー名誉教授は、最近韓国で著書『韓国の儒教化プロセス』を出版した韓国学者だ。ドイヒラー名誉教授は
 「父系と母系どちらも重視していた高麗時代以前の『両系社会』に戻るだろう」
と語った。

 実際、妻の実家で暮らす男性の数は、1990年の時点では約1万8000人だったが、3年前に統計庁が行った調査では約5万3000人に増えていた。
 経済力の低い男性がそれだけ増えているということだ。
 共稼ぎの夫婦が子どもを妻の実家に預けるというのも、自然な流れだ。
 子どもたちは父方のおばより母方のおばの方を身近に感じる。
 「新母系社会」ともいう。
 とはいえ、父権が消滅するわけではない。
 母権が拡大したというだけのことだ。
 財産を共同名義にしておく夫婦も少なくない。
 というわけで、今の時点では「両系社会」という表現がふさわしいのかもしれないが、
 最終的には「母系社会」に向かう過程にあるのではないだろうか。




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